10月13日より公開の「猿の惑星:聖戦記(グレートウォー)」を観賞してきたので、感想の方を書いていきたいと思います。
『猿の惑星:聖戦記(グレートウォー)」
原題:「War for the Planet of the Apes」
公開年:2017年 製作国:アメリカ 140分
出演:アンディ・サーキス
:ウディ・ハレルソン
:アミア・ミラー
:スティーヴ・ザーン
:ガブリエル・チャバリア
:カリン・コノヴァル
:テリー・ノタリ―
監督:マット・リーブス
脚本:リック・ジャッファ
音楽:マイケル・ジアッキーノ
あらすじ:猿と人類の全面戦争から2年後。シーザー率いる猿の群れは森の奥深くに秘密の砦を築き身を潜めていた。そんなある夜、シーザーは人間たちから奇襲を受け、妻と息子の命を奪われる。悲しみと絶望の中、シーザーは大勢の仲間を新たな隠れ場所へと向かわせ、自らは復讐のためオランウータンのモーリス、シーザーの片腕であるロケットらと共に冷酷非情な敵のリーダーである大佐の後を追う。その途中、一行は口のきけない人間の少女を発見するが、体が弱りひとりでは生きられないその少女をモーリスはノバと名付け旅に同行させる。さらにバッド・エイプと名乗る奇妙なチンパンジーとも出会い、大佐の居場所を知る彼もまた道案内として旅に同行させる。
(TOHO CINEMAS 作品紹介から抜粋)
予告編はこんな感じ
『猿の惑星:創世記』、『猿の惑星:新世紀』に続き三部作の完結編です。前二作を観賞していなくても楽しめますが、鑑賞していない人の為に大雑把なあらすじと、登場人物をまとめておきます。
『猿の惑星:創世記』のあらすじ:製薬会社に勤めるウィルは、アルツハイマー治療薬をメス猿に投与する。すると投与された猿の知能は劇的に向上するが、お腹の中の子猿を守ろうと暴れ出したため射殺されてしまう。ウィルは残された子猿にシーザーと名付け可愛がるが、やがてシーザーにも母親と同じ高い知能が備わっている事に気づく。
『猿の惑星:新世紀』のあらすじ:猿のシーザーが仲間を率いて人類に反乱を起こしてから10年。猿達と人類の生き残りが森で遭遇し両者に一瞬即発の空気が流れる。人間との戦いを避けようとするシーザーだが、部下の中に人間に復讐心を抱く者がいて……。
《登場する猿達》
シーザー:進化した猿達のリーダー。
モーリス:オラウータン。シーザーとは動物保護施設からの付き合い。温和で群れ一番の知恵者。
ロケット:シーザーの片腕的存在。シーザーとは動物保護施設からの付き合い。
アッシュという名の息子がいたがコバの反乱の際に失う。
ブルーアイズ:シーザーの息子。
コバ(故人):実験動物上がりで人間を深く憎んでいた。
前作『新世紀』でシーザーに反抗し人間たちに戦いを挑む。シーザーに反撃され死亡。
コーネリアス:シーザーのもう一人の息子でブルーアイズの弟。
レイク:ブルーアイズと相思相愛のチンパンジー。
ルカ:警備主任のイケメンゴリラ。
人間の生き残りの部隊の、不揃
いな武装がカッコいい…。こういう「寄せ集めの装備で固めたゲリラ部隊」って何とも言えない趣きがあって好きです。こういうジオン軍残党の、ボロボロなのにやたらと改造されたMSみたいな雰囲気大好きなんですよ。
予告編では派手な戦闘シーンばっかりですが、果たして本編は……?
※ここから物語の核心的なネタバレありです。注意↓
「戦争とは武力を伴った外交であり 外交とは武力の伴わない戦争である」
「戦争は、外交の失敗以外の何物でもない」
予告編では「猿と人類の最終戦争」を題材にしたSF・アクション作品みたいに宣伝しておりますが、この映画の8割は政治劇です。
人間、猿の両陣営とも一枚岩ではなく、各陣営のお互いの生存を掛けての熱い駆け引きが繰り広げられる。政治的な駆け引き+名作映画『大脱走』みたいな作品。
全体の8割を占める政治的な駆け引きが、楽しめるかで評価が変わる作品だと思う。
アクション満載のエンタメ作品としては前作『猿の惑星:新世紀』の方が面白いと思う。
今回のプリクエル三部作は、旧「猿の惑星』シリーズとのミッシリングを埋める為の作品なんですが、正直ストーリー的には、あんまりいらなかったんじゃないかと思ってしまう。
特に今作の『聖戦記』は、旧作品群との辻褄合わせの為に脚本の制約が大きかったのではないか?
さらにそれに加えて、少し安易な内容になってしまっているような気がします。
前作の『新世紀』でしっかりした考えを持っていたシーザーが、今回あっさりと人間への憎しみに憑りつかれしまう。憎しみに憑りつかれた人物の葛藤劇なら、前作で散々やってんですよね。ついでに今作では派手なアクションシーンもなく、観ていて退屈に感じた。
どうも現実世界の諸々の対立問題を持ち込み過ぎといいますか、安易に猿に置き換えただけの様な気がして、個人的には映画にあんまり入り込めなかったかなぁー。
現実世界の安易なメタファーなら、進化した猿の必要もないし、SFでやる必要もないわけですよ。
さらに進化した猿>退化した人間という構図が、かなりあからさまに描かれている為、結局どっちにも感情移入出来ないで終わる場合が多そうです。
一作目の『創世記』がシーザーと人間との心の触れ合い+マイノリティの決起、二作目の『新世紀』が戦争アクション物ときて、どうして完結編にあたる今作がいまいち退屈な政治劇+脱走物にしてしまったのかが疑問。
政治劇が受けないという事が分かっているからこそ、「いかにもアクションエンタメ大作です」みたいな予告編にしてるわけだ。そんな小手先の方法でお茶を濁さずに、あくまで分かり易いエンタメ作品として作って政治劇はおまけでよかったのではないかと思う。
《特撮映画としての聖戦記》
ここまでちょっと辛辣に書きすぎたかなぁー、と思わないでもないので、続いてはいいところを。
普段はB級映画について比較的好意的に書いてる当ブログですが、たまに大作映画を観ると妙に手厳しい意見を書いてしまうのは、いかがなものかと。
SF映画をわざわざ劇場まで観に行く最大の楽しみは、「最新の特撮を楽しめる」以外にないかと。
CG記述の発達は凄いですね。
予告編でも紹介されてますが、兵隊の頭上を猿がロープで移動するシーンの構図なんて面白いんじゃないかと思う。ああいう絵の構成が出来る様になったのもついさいきんじゃないかな?
いや、猿がモーションキャプチャーを利用した完璧なCGで再現されてるとか、ストーリーの個人的な好き嫌いはともかくとして、大きな齟齬を生じていないだとか、役者がちゃんと演技やってるだとか……そういうのってそもそも当たり前であって、いちいち感動する事ではないのかもしれない。
しかし僕この作品の前に観たのが『猿の帝国 女囚戦記』なんですよね。
ブログネタにしてやろうという、露骨な助平心があったのは全く否定しませんが、これがもう凄くてね…(嘘は言ってないよ)
猿が地球人の女を孕ませたり、おっさんが腕時計からビーム出したり、宇宙船がヤクルトの容器じゃなかったら、もうなんだっていいような気がしてくるんですよ(末期症状)
総合的な評価としては、いまいちな作品かなーというのが正直な所。はっきりと言って前作の『新世紀』の方が面白かったと思う。前作の方がずっと緊張感があったし、エンタメ作品として分かり易く、金のかかったB級大作として人に勧められる作品かと。
残念ながら今作品は、政治パートの重い真面目な話が長すぎる。
ましてや、予告編では「猿と人間の派手なドンパチ映画」の様な編集をしているため、文句言われても仕方がないのではないだろうか?
「なんだか妙なスタイルに挑戦しとるなぁー」なんて感じはありますが、もう少しだけアクションパートの配分を見直すなどして、全体のバランスを考えて欲しかったと思う。
140分あってその内、派手な戦闘シーンは冒頭15分と、ラストの15分くらいだけで、二時間近く政治劇をやろうってのは、ちょっと無謀なんではなかっただろうか?そんな風に思えてしまい残念だ。
PS:音楽は非常に良かった
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