今回紹介する作品はこれ↓
製作年:2008年 製作国:アメリカ
上映時間:95分 原題:「GRIZZLY PARK」
監督:トム・スカル
製作:ベル・アヴェリー/ジャンヌ・スタック
出演:グレン・モーシャワー/エミリー・バルドーニ/ランディ・ウェイン/ランス・ハワード/シュドラック・アンダーソン三世/エミリー・フォクスラー/ズライ・エナオ・トレヴァー・パターソン
【あらすじ】
軽犯罪を犯してしまった青少年達は、懲罰のために自然保護公園の清掃を命ぜられる。時を同じくして、凶悪な脱獄犯が公園に逃げ込んでいた。職員を殺して成り済ます凶悪犯。さらに公園には巨大なグリズリーが獲物を待ち構えていた……。
●キャラクター…………〇、キャラクターは立っていた。しかし、やや人数が多く、何人かは駆け足で消化されている感じがする。
●スプラッター描写……△、わざとらしい、作り物感が凄い。頑張っているのは伝わってくるが、出来が悪くて笑ってしまう。
●ストーリー…………、〇ストーリーに意外性はあるがもう少し見せ方を工夫して欲しかった。
●怪物…………………、△、本物の熊と着ぐるみの落差が激しい。やっぱり本物の熊に演技は無理である。
※以下ネタバレ注意↓
予告編はこちら↓
まず、本作がどんな映画か簡単に説明しよう。
そうは言っても、
『アホな若者達が、人里離れた森で凶暴な熊に襲われる』
、といういつも通り全く中身なんてないんですがね。
上記内容に加えて、そこに脱獄した凶悪犯が乱入してきて……といった要素もある。
本作は、初っ端から聖書の引用から始まる。
—列王記下2章23節~25節—
【エリシャはそこからベテルに上がった。彼が道を上がって行くと、町から小さい子供たちが出て来て彼を嘲り、はげ頭、上っていけ。はげ頭、上っていけ」と言った。
エリシャが後ろを振り向いて睨みつけ、主の名において彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうち四十二人を引き裂いた。
エリシャはそこからカルメル山に行き、そこからサマリアに帰った】
………クマ映画!宗教ネタ?…うっ!頭が…。
→『グリズリー2010』←(過去の記事です)
一応、この部分が伏線と言いますか、本作のコンセプトをやんわり説明している。
画面に聖書の一節か映し出され、少しだけ厳か雰囲気になったものの、その後すぐに陽気なメロディーが流れだす。
ここで流れる「I Met A Bear」なんだが、僕らがよく知っている「森のクマさん」とはだいぶ歌詞が違う。
クマの話しかけてくる言葉が、
お嬢さん、どうして逃げないんだ? 銃を持っていないのに
だそうだ(((( ;゚д゚)))
……このクマヤル気だ。
、といった音楽がひと段落した所で、映画は登場人物の紹介に移る。
そもそも何故、若者達がこの自然保護公園”グリズリー・パーク”に集まったのか?
軽犯罪を犯してしまったティーンエイジャーの男女が、奉仕活動の一環として、自然保護公園の清掃ボランティアに参加するためだ。
ついでに、本作の舞台である”グリズリー・パーク”自然公園は、その名前とは違い、もう何十年も野生のグリズリーは確認されてない事が看板からわかる。
さて、この若者達だが、保護観察中の身でありながら、どいつもこいつもボランティアなんて、はな
からやる気なし。
その集団を引率するのは、歳のいったパークレンジャーのボブ隊員。
(ハートマン軍曹ぽい厳しいおっさん)
悪ガキたちは、反抗的な態度をとる。
そんな中、ボブ隊員の言う事を素直に聞く女の子が一人だけいる。
しかし、どうも嘘くさいと言いますか、ちょっと性格が幼すぎるのではないか?…といった感じ。
そんな中、若者たちの一人が、ボブ隊員の帽子を取ってしまう。
そこにあったのは、ハゲ頭。
(冒頭の聖書の一節を連想させる。一応伏線)
若者たちのクズエピソードをじっくりと紹介するが、肝心のクマがちっとも出て来ない。
そして、問題の脱獄犯も冒頭保護観察官を殺して入れ替わり、さらに若いパークレンジャーを血祭りに上げる。
さらに若者たちの先回りをして、森のロッジに侵入する。
そこでやっとクマ登場。
物語に深く絡んでくるかと思われた脱獄犯だが、ここであっさり退場。
一応、通信機を壊すようなシーンもあったが、本作に限っては実はあまり関係なかったりする。
ここから先、しばらく若者たちのクズエピソードの紹介に戻る。
あんまり意味もなく、男女問わずに下着姿になったりする。
(露骨なサービスシーンです)
ついでに、例の素直な女の乳が、「本物か偽物?」といった熱い議論が交わされるシーンが、ちょくちょく挿入される。
なんやかんやありまして、この後やっと調子に乗って、パーティーからはぐれた若者が犠牲になるが、その最初の犠牲者がクマではなく、オオカミに喰われる。
………グリズリーどこいったの!?
と、視聴者のイライラが溜まった後半に、やっと本格的にクマが襲ってくる。
今度は逆に、在庫一斉処理の様に、次々と適当に流れ作業の様にクマに殺される。
夜が明け、一人生き残った素直な子をボブ隊員が助けにくるが、実はこの女もとんでもない奴で……といった事が判明。
ちょっとショックを受けたような顔になるボブ隊員。
そこにクマが現れ、女に天誅!
腹黒女死亡。引き裂かれ胸からシリコンの塊が飛んでいく。
……う~ん、偽乳の下りをここまで引っ張るのはどうなんでしょうか?
まぁ、面白かったですが、これがミステリー要素かどうかと問われれば、”否”かなぁ…。
で、ラストシーンで「実はクマはボブ隊員のペットだった」というオチがつく。
確かに、「野生のクマ」はもう何十年も目撃されてないと、冒頭に説明していたが、なるほどそういうことね。
物語の真相は、ボブ隊員が「更生の余地がある若者か、そうでないかを判断してクマに襲わせていた」といった感じ。
冒頭の聖書の一節と併せて「ハゲが悪がきをジャッジ!クマ実行!」、というのがこの作品のコンセプトだったんだなぁー…というのが分かる仕様。
《クマ映画のいつもの問題》
さて毎回イマイチ消化不良な作品が多い、クマ映画。例のごとく『グリズリー~〇〇〇』である。
この手の映画が、消化不良で終わる最大の原因は、本物クマと、着ぐるみ・模型パートのリアルさの乖離にある。
(クマ映画の過去記事↓)
『グリズリー・レイジ』
本作でも、やっぱりその問題が発生してしまい、迫力に欠ける。
クマの襲撃シーンは基本的に、
クマのドアップ・吠えるシーン。
↓
怯える役者の一人芝居。
↓
揺れるカメラ・悲鳴。
↓
バラバラになった人体の模型・血糊・引き裂かれた服。
そういったいつものパターンに陥ってしまい、残念ながら全く迫力がない。
ついでに、案の定人間になれたクマが、コロコロ太って可愛いため、これで怖がれというのは無理な相談だ。
毎回思うんだが、コロコロ太って毛並みがいいことから、動物プロダクションでちゃんと大事にされている事が分かりる。
すっかり和んでしまい、ホラー映画どころではない(笑)
さらに本作では、クマの出番はほぼ後半に集中しており、そのため映画の大部分は、人間同士のどうでもいいドラマ中心である。
この若者たちが、いかにどうしようもない人間か分からせる為に、延々とクズエピソードが紹介される。
露骨なサービスシーンを挟んだりしているが、それでもこの作品のテンポは悪い。
とにかく肝心のクマが出て来ない。
怪物映画で、怪物が襲ってくるシーンが少ない、さらにあんまり迫力がないというのは、致命的な弱点だと思う。
感想をまとめると、怪物映画としてはあんまり褒める部分がない作品かと思う。
「実は黒幕が…」と”偽乳”の下りは面白かったが、肝心の「モンスターパニック」の部分が弱すぎる。
個人的に一番面白かったのは、冒頭の「I Met A Bear」(「森のクマさん」)が字幕付きで流れるシーン。
陽気なメロディーなのに、歌詞が恐ろしいミスマッチがいい。
iTunesストアに売ってたら欲しいぐらいだ。
【感想まとめ】
●総評:D
●ストーリーのアイデアは面白いが、見せ方に問題がある。
●サービスシーン多め。
●劇中で使われている、「I Met A Bear」の歌詞は面白い。
●熊はやっぱり可愛い。
●「偽物かそうでないか」を延々と引っ張る。
コメント
設定は生かされていないがストーリーは破綻せず辻褄があっている。つまり熊はモンスターではなく、死刑執行人なのね。熊の毛並みがいいのが気になったがペットなら納得がいく。しかし、くまもんが熊本復興のシンボルになったのはいいことだ。
熊はモンスターではなく、死刑執行人>
色んな国の神話で、熊は「山の神様の使い」だから、死刑執行人=”裁き”みたいな解釈でいいのかもしれないですね。
熊の毛並みがいい>映画によっては、エンドクレイに、演じている熊の名前も出てたりする。