本日紹介する作品は「ビューティフル・デイ」です。
目次
作品情報・キャスト・スタッフ
「ビューティフル・デイ」
・製作年:2017年
・製作国:イギリス
・上映時間:90分 ・PG-12
・原題:「YOU WERE NEVER REALLY HERE」
・監督:リン・ラムジー
・原作:ジョン・エイムズ
・脚本:リン・ラムジー ・音楽:ジョニー・グリーンウッド
・出演:ホアキン・フェニックス/エカテリーナ・サムソノフ/ジョン・ドーマン/アレックス・マネット/ダンテ・ペレイラ=オルソン/アレッサンドロ・ニボラ……etc.
※主演を務めるのは「グラディエーター」「サイン」で知られるベテラン、ホアキン・フェニックス。
監督は「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー。
音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。
「ビューティフル・デイ」:あらすじ
「元軍人のジョー(ホアキン・フェニックス)は、行方不明者の捜索を請け負う、人探し専門のプロ。人殺しもいとわない、凄腕。年老いて母親と静かに暮ら一方で、幼少期のトラウマに惑わされ、心はいつも不安に満ちていた。そんなある日、ジョーも元に、政治家から家出して行方不明になった娘を探して欲しいと、いう依頼を受ける。犯罪組織の売春窟から少女・ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を救出するが、彼女は心ここにあらずといった様子で、全くの無反応であった。
ニーナを父親のもとへ送り届けるため、仲間の到着を待つが、そこにニーナの父親がビルから飛び降りて自殺したニュースが入り、同時に押し入ってきた怪しい男達にニーナを奪われてしまう。
ジョーは、自分がなんらかの事態に、巻き込まれたことに気づいた。極限状態に陥ったジョーは、ある決断をする……」
映画情報サイトでは、「サスペンス」に分類され、予告動画では「レオン」や「タクシー・ドライバー」の様に紹介されているが、紋切り型の表現・ジャンル分けでは、説明するのが難しい映画だと思う。
それは、この映画だけではなく、クロックワークスが配給する映画でよくある事だ。なんとなくだが、今の流行りの邦画、映画館のメインコンテンツであるハリウッド大作では、やらないテーマの作品が多いから、主流から外れた物語を、配給会社側が、説明する言葉を持たないのが原因かと。
そんな風に思う。
本作品の感想を読み漁っていると、「レオン」や「タクシードライバー」を期待して観たら、違っていた、よって減点みたいな感想が多かった。う~ん…配給会社のキャッチコピーを金を払って確認作業するのはどうかと思うけど、「そういった作品が好きだから期待して観る」ってのも分かるんだよね。
ほら、小学生の頃に母ちゃんがカレー作ってたから、夕飯はカレーだと思って楽しみにしていたら、母ちゃんが明日は出かけるから、それは作り置きよって、今日はそれなりに好物の料理が出てきたような、そんな感じ。
「これはこれで好き」なんだけど、頭の中が他の期待値でいっぱいだから、なんかこう、楽しめないようなアレだよ。
(分かるような分からんような例えだな……)
うん、まぁ、怒っている人は、ホアキン・フェニックスのわがままボディでも見て落ち着けよ。
(お前が落ち着け定期)
予告編
↑「レオン」ぽい紹介されてるのが問題なんじゃないかな、これ。
「ビューティフル・デイ」:感想/ネタバレ有
説明的な台詞・場面を、一切排除した作りである。終始悲壮感が漂う中で、ジョニー・グリーンウッドの音楽が、不協和音を鳴り響かせる。
音楽が、印象的に使われているのが特徴。
また、役者の演技が渋い。特に主役のトラウマを抱えた元軍人のジョーをホアキン・フェニックスが熱演。
ホアキン・フェニックスは、どの映画でも病んだ役をやっているイメージがある(笑)
脱いだらけっこうだらしないわがままボディなのは、本作が「少女を救うヒーロー」を描くのがメインではなく、「トラウマのせいで外見は大人だが、中身は少年のおっさんが、もがく物語」を描くのに重きを置いているからなのでは?
あえて「ヒーロー性」をそぎ落としているように感じたよ。
「死と再生」・子宮への回帰願望を描いた作品。
本作の主人公ジョー(ホアキン・フェニックス)は、心に傷を負った元軍人。行方不明になった少女を探す専門家で、解決のためには殺しも含めて手段を択ばない冷徹さを持つ。
そんなパッと見てタフガイのジョーだが、幼少期のトラウマのせいで大人になり切れず、心にはいつも不安と闇がある。
ハードな仕事をこなしながらも、年老いた母の面倒を見ながら、穏やかに暮らす一面を持つ。
そんなジョーには、自傷癖と自殺願望があった。
開始早々頭からビニール袋を被って、何やら不穏な事をやっている主人公のジョー(ホアキン・フェニックス)
どうやら「殺し(仕事)」の後らしい。
彼にとって「殺す」ということは「殺される」事と、ある意味同義であり、自分自身のどうしようもない願望を「他者」に「与えている」毎日だ。
劇中なんどもフラッシュバックする過去の記憶。
家の中で暴れまわる父親。隠れている幼い自分と母親。記憶の中の母親は怯えているが、若くて美しい。
そんなトラウマ(おそらくは虐待されていた)を抱えるジョーは、髪と髭に白いものが多く混ざる年齢になっても、大人になり切れない。
そして、どうしようもなく襲ってくる自殺願望。
その自殺願望=「生まれ変わりたい」という、子宮への回帰願望として描かれている。
本作では、そういった「グレートマザー」を求めてあがく様が、母親との関係から、少女に移行する様が描かれている。
その描き方が、まんま、フロイト的解釈から→ユング的解釈への移行で説明できる……それっぽく書こうとしたが、すまん!短く解りやすく説明するには、管理人の力不足だ。
詳しくは河合 隼雄(かわい はやお)の本でも読んでおくれ。
(ぶん投げ!)
まぁ、本作を一緒に観ていた友人が「要は少女の方が、おぎゃりてぃが高いってことだよね」と、あんまりと言えばあんまりなわりかし核心をついた発言をしてくれたが、うん、まぁ、だいたいあってると思うよ。
反復される「死と再生」のシンボル
本作はなんども「死」=「再生」のイメージが繰り返される。
ジョーが、しょっちゅうやっているビニール袋で窒息プレイ。これも自殺願望ともとれると同時に、「何か大きなものに包まれたい」というイメージなんだろう。
フラッシュバックする、過去に実際に見た「死」
極めつけは、湖で母親を埋葬するシーン。
水・暗い・母と一緒。子宮のイメージ。
湖の底に沈んでいく母親は若い姿であり、ジョーは一人で水面に上がる。
「出産」/あらたな「誕生」の人為的なセレモニー。
なんとなく観ていてもエディプスコンプレックスに深く根差した映画なのが、なんとなく分かる。
自分を縛っていた母親の死。
それは、「開放」を意味すると同時に深い喪失をもたらした。
そんなジョーに残されたのは少女を救う事。
その過程で「黒幕をぶっ〇す」=「父親殺し」が描かれるはずなのだが、劇中のとある出来事のせいで、それは実行されない。
それは、人為的な「出産/誕生」のセレモニーでは、「父親殺し」の舞台を顕在させることは、叶わなかったかのようだ。
「出産/生命の誕生」という、人智を超えた奇跡であり、全て理不尽の源である。それは、人為的・作為的なセレモニーで再現不可能であり、それゆえ、本来行われるはずだった、ジョーの「父親殺し」は実行に移されないということか?
そこで絞り出される「俺は弱い」という台詞。この台詞が悲しいんだよ。ホアキン・フェニックスの演技と相まってかなり辛いね。
ちなみに、一緒に観ていた友人は「白人美少女を助けに行くなんて最高じゃん」と言っていたが、やっぱり彼は、往々にして正しいと思う。
振り上げた拳は、どこに叩きつけたらいい?
そんなこんなで本作では「父親殺し」は描かれない。
それは、「黒幕が主人公の手で落とし前をつけさせられない」という事だけではなく、画面から徹底的に「男が殺される」シーンを排除する結果となる。
予告編でも映っているが、「殺し」はカメラ越しの映像=ジョーの体験している、一種の離人症のような現実感のなさの表現であると同時に、「実像」ではないという事ではないか。
ついでに、銃で撃つ殺される二人組にしろ、気づいたら地面に転がっていたボディガード、さらには主人公の協力者たちの殺害シーン、「その瞬間のインパクト」は意識的に排除されている。
ガンガン人が死んでいるのに、「その瞬間」は直接的に描かれない、かなりややこしい作風である。そうやって意識的に「死の瞬間」を排除=ジョーの望んでいる「破滅」も「再生」もやってこない事を、「これでもか!」としつこく描く。
クライマックスのとあるシーン。ここでやっと「その瞬間」が描かれるんだけど、その後の展開がね。これがもう「自分の死」=「再生」で、やっとここでジョーの深い悲しみはカタルシスを得て癒される(全部じゃないだろうけど)。
「母親であり処女でもある」そういったマリア信仰的な求道精神。それでも結局は救おうとしたニーナに救われてしまうジョー。なんか凄く暗示的。
彼女は言う「Today is beautiful day」
酷い目に遭ったし、大切なものは全て失ってしまった。振り上げた拳は使えなかった。
それでも、目の前の少女・自分と同じ傷を負った少女が、さっきよりいい顔をしている。
ああ、今日はいい日なんだ……。
そういった「ちょっとした希望」で物語は終わる。説明的な台詞・シーンは一切省いて、音楽だけでそれを表現しているのが凄い。
なんだかんだ言って、僕はこの作品好きです。
「レオン」や「タクシードライバー」でもないし、故トニー・スコット監督のライフワークだった(?)、「人生の最後に、おっさんがプライドを貫き通して満足して逝く」映画でもなかった。
これ、「やるだけやって満足して逝く漢のファンタジー」じゃないもん。もっと誠実で粘っこい「少年の悩み」の映画だよ。
エディプスコンプレックス系の話って、真剣に考えれば考える程、自分の中の「変態性」とも呼ぶべきもん見て凹む。
そういった「凹む」事を真剣に考え続けただけでも、僕はフロイトやユング、河合 隼雄を尊敬に値する人物だと思うよ。
ちなみにジークムント・フロイトは「人間は、強い考えを抱いているかぎりにおいてのみ強い」なんて言葉を残している。
そんなウンチクを一緒に観ていた友人に話したら「変態だっていいじゃん、むしろ胸を張れ!」と言いやがった。
あれ?、こいつもしかしたら大物かもしれない…。
総評・感想まとめ
総評:☆☆☆☆☆☆☆ 7/10
●【よかったところ】
・トラウマを、抱えて大人になれない”少年”を、ホアキン・フェニックスが熱演。
・音楽の使い方。
・「間」の使い方で。
●【悪かったところ】
・予告編や映画のジャンル分けを、鵜呑みにすると楽しめないかも。
・アクションシーンを完全にそぎ落としたのは、賛否両論ありそう。
・劇中、多用されているシンボルが、日本人にはあんまり馴染みがないものが多い。
●雑多な感想
・「俺は弱い」という台詞が本作品のテーマを象徴している。
・ホアキン・フェニックスのわがままボディ
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